こんにちはアネチミの日常です。
東京雑司ケ谷の威光稲荷尊天に行ってきました✨
偶然見つけた神社
雑司ケ谷を散策中、ふと小道を見つけ引かれるように入っていくと偶然この神社と出会いました。
そして、境内に入ると坊主頭に下駄を履いた僧侶の方とすれ違いざまに挨拶しました。
しかし、すれ違った後にあれ❓❗️と思いました。
たしかに鳥居があるしお寺ではないはずなのにと思い前に進みました。⛩
拝殿の前に出ると、お稲荷さんがこっちを向いて出迎えてくれたので神社だと確信しました。
境内に人はいませんでした。その代わりに猫も境内には多くいましたね。🐈
神社?お寺?
そんなこんなで参拝を終えて、少し拝殿の中を見ると、なんと木魚などお寺で見るものがたくさん並んでいました。
神社にもかかわらず、法要で見るものが多くあって神社とお寺どっちなんだと思いました。🙄
そう思って、縁起が描かれた石碑があったので少し見てみました。
以下に要約してみると、
当山総鎮守開運威光稲荷は西暦800年くらいの時に慈覚大師というお坊さんが雑司ケ谷の森から一筋の光を見つけ、それを追っていき、あまりの光の強さから威光稲荷大明神を見出し、安置したというのです。🔅
まさに私がこの威光稲荷尊天を、見つけた時とすごく境遇が似ていてびっくりしました。何か縁をかんじました。
つまりこの世は何事も縁によって成り立ってるのだなと改めて感じました。🔗
神仏習合
さて、縁起の書かれた石碑の通り、慈覚大師というお坊さんが神社を建てました。
昔は神仏習合といい、神道と仏教は表裏一体の関係で同じものとして考えられてました。
同じというと語弊がありますが、外国から入ってきた宗教である仏教とリンクする部分が多くあったのです。
威光稲荷尊天から少し歩くと法明寺というお寺がありました。
だから多分最初に出会った僧侶の方は、法明寺の住職さんだったのでしょうね。☺️
ホームページも法明寺のものがトップに来ています。
今となっては、
七五三や、恋愛運をお願いするときは〇〇神社に!や、
お葬式などの時は〇〇寺に行く!
など神社とお寺をなんとなく分けています。
周りにも「それは神社の思想だよ」「お寺では柏手を打たないんだよ」とよく言います。👏
たしかに正しい、、、だがしかし!昔は二つとも一緒でした。神社の中に「神宮寺」というお寺があったりしていました。
真理はいつも一つ!(某少年探偵風)
仏教の教えに「不二法門」(ふにほうもん)という教えがあります。この世の真理は二つとなく、一つであるという考えです。
つまり、神道も仏教も二つのうちどちらかということではなく、一つということです。例えば、それは男女でも同じです。
男子と女子というふうに2つに分けて対立させるから悪いんです。
真理としては人間という種類の一つにまとめられるのですから。
さて、そんな様な昔は一緒だった神仏習合の痕跡が今でもここ、威光稲荷尊天には見ることができ、とても充実していました。
「根があるから花は咲く しかしその根は目に見えない ご先祖様も同じ」と法明寺の看板にはありました。
私たちがこうして活躍して生きていられるのもご先祖様のおかげということですね。🌷
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