鴨社とは
下鴨神社があればもちろん上賀茂神社もあります。「かも」の字が違いますね。
上賀茂神社がある場所の近くは賀茂川、下鴨神社がある場所の近くで高野川という川が合流すると鴨川に名前が変わるからだと言われてます。
でも正式名称はどちらも、「賀茂」の字が使われてます。
上賀茂神社→「賀茂別雷神社」(かもわけいかづちじんじゃ)⚡️
(雨だとこんな暗いんですよね笑)
賀茂は賀茂氏という豪族が古代からおり、その氏神や、総鎮守としてお祀りされています。
なので、主祭神は「賀茂建角身命」(かもたけつぬみのみこと)と言われ、京都を開墾した人物が祀られています。👨🦳
このことから京都が都だった時代には皇室の氏神様として信仰され人々からも厚く信仰されていました。国家安穏や、厄除け、縁結び、子安など人々の生活を守るご利益があります。
下鴨神社ができる前までにも、この辺りには人々が暮らしており、弥生時代や縄文時代の住居跡が発掘調査で確認されています。
その場所のことを糺の森(ただすのもり)と呼んでいます。
鴨川という大きな川が近くにあり、また森林も広がっていたので生活はしやすかったのでしょうね。☀️
下鴨神社 創建
その後下鴨神社ができ、葵祭というお祭りも営まれるようになりました。
日本書紀には「お祭で人がたくさん来るから警備をしろ」という話があります。
当時から葵祭は人々がよく集まるお祭りで、下鴨神社が大きな神社であることがよく分かりますね。
多くの人が古代から鎮座する下鴨神社に参拝し、生きるだけでも精一杯な世の中ですから、平穏な生活ができるようご祭神などに手を合わせたのでしょう。🙏
ところで葵祭では禊の儀で、手を清める場面があります。手は御手洗池(みたらいいけ)という池で手を洗います。今ではお手洗いと呼んでしまい、トイレ🚻のことを想像しますが、そうではなく手を清めるために洗うことを表してます。
ここでは「水みくじ」というものが有名です。
こんな感じできれいな水におみくじをつけて、文字を浮び上がらせる「水みくじ」が有名です[/caption]
そのきれいな水でできた池は湧き水によるもので、そのぷくぷくと泡が湧き出ている様子を表現したのが、みたらし団子です。🍡
つまり、御手洗(みたらい)→みたらし
ということです。
このみたらし団子は下鴨神社周辺のお店で、お抹茶もついてきて非常にもちもちで美味しかったです! このお店はこちらです↓
葵の葉
最後に、葵の葉っぱの形分かりますか?見たことありますか?
ないない🙅♀️と思いますけど多分あると思います。
たとえば、徳川家の家紋見たことありますよね。あれ、葵の御紋(あおいのごもん)ってよく言われますよね。
その名の通り、葵の葉があしらわれた家紋だからその名前なのです。
徳川家康は、自分は賀茂社の末裔だと自称し、または賀茂社を崇敬するところから葵の葉を家紋に取り入れました。賀茂社のご加護を得ようとしたのですね。
賀茂社は双葉葵と言われますが、徳川家康は三つ葉葵という、一枚葉を多くして家紋にしました。
当時の考え方としては大抵崇敬するときには、敬意を払うんです。例えば天皇は菊の御紋を使っていますが、それを他で天皇でない人が使うときは花びらの数を減らしたりして敬意を示します。
でも徳川家康の場合、葉の数を1枚少なくすることもなく、むしろ葉を一枚多くするというガッツがありました。💪
したがって、そういう人でないと天下は取れないのかもしれませんね。というお話でした。
ちなみに徳川家康が大御所として隠居したのは駿府城で、今の静岡市です。
静岡市には葵区という町があり、その町では京都の葵祭で使う葵の葉を育てており、静岡市葵区の小学校で育てたものを送っているそうです。
[caption id="attachment_991" align="alignnone" width="300"] 家康が祀られている久能山東照宮の表参道[/caption]
きっと葵区の名前の由来は徳川家康と深い関係があるのは言うまでもないですね。
まとめ
今回は下鴨神社に参詣しました。上賀茂神社が少し遠かったので、断念してしまったのですが次こそは行きたいと思います! やはり、みたらし団子の由来も知れてとてもおもしろい旅になりました。
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